長崎からの帰り道に目にとまった一枚です!
日本からヨーロッパへ、アメリカへ、世界へ!
主の時に備えて、お祈りしております。
天の門とも思える西坂の丘で持たれた殉教聖会で、神様からの恵みと
慰めに満ちたメッセージに預かる事が出来、本当に強められました。
「ただ主により頼んで、み心を行えるように祈るとき、
主がみ心をなさせてくださる。」
主の恵に心から感謝致します!
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』
(ゼカリヤ4:6)
宿泊場所のことですが、今回、長崎に来るに当たって足を痛めて
いたため、歩くのが最小限で済むようにとお祈りしていたところ、
何と、西坂公園の直ぐ近くに格安の綺麗な宿泊場所が与えられました。
ハレルヤ!
という訳で、西坂町という特別な地で一晩過ごす事が出来、また、
雪がちらついたり、風が強くとても寒いなかでも、夕方や早朝、
聖会前にもお部屋で暖をとってから直ぐに行く事が出来ました。
足を痛めていたことも益として下さり、このように祝福して
下さった神様に心から感謝しております。
二十六人の方々は、時津で上陸されてから、最終地、長崎の西坂
の丘まで徒歩で向かわれました。その足跡をバスで辿りましたが、
とても遠く感じ、バスを降りてからの最後の坂は本当にきつく、
その道のりがどんなに大変だったかを改めて思わされる時と
なりました。
殉教者の方々は、船で大村湾を渡り、時津に午後11時ごろ着いたと
言われています。その晩は上陸を許されず、船の中で身を寄せ合って
最後の夜を過ごされました。夜の時津の様子です!
今回は時津に正午ごろ到着し、下船後、主に賛美をお捧げし、お祈りの
時を持つことが出来ました。この一時を導いて下った主に、心から感謝
しております。これはその時の一枚です!
長崎空港に到着後、彼杵から時津へ向かわれた二十六人の殉教者の
方々に思いを馳せながら、フェリーで時津へ向かいました。
その間、時津に着くまでフェリーの水飛沫の中に虹が出続けて
いました。その虹を見ながら『インマヌエル』という言葉が
浮かんできました。
殉教地に向かわれる二十六人の方々と共に、常に主が共におられ、
その方々の上に、主の特別なみ手とお守りがあったのではないかと
思わされ、慰めと励ましを受けました。主をほめたたえます!
1597年1月、日本人で初めての殉教者の方々が、大阪から中国地方を通り、
九州の山本村、彼杵へ向かい、2月4日、大村湾を小船で時津へ、
翌2月5日の早朝、徒歩で彼らの殉教地:西坂に向かわれました。
今回、その道を少し辿らせていただこうと思い、まずは長崎空港へ!
足を痛めていたため車で羽田空港へ向かったのですが、途中、事故渋滞が
発生し、到底出発時間には間に合わない状況に落ちいりました。
その事を感謝しながら最短で行けるように、フライトに間に合うように
祈っていく中で、通ったことのない道を通ることになり、その結果、
ギリギリ間に合って搭乗することができました。
神様の助けとお守りを心から感謝致しました。栄光在主
2/5日(土) 午後1時から、長崎の西坂の丘で聖会が持たれます。
今回、主の恵みによって、参加させて頂くことが出来るようになりました。
主の語ってくださること、主の成してくださることを主に期待して、
祈りつつ長崎に向かいたいと思っております。